VQ-1
EP-3B/E Page-1
Wings
(1955~2025)
VQ-1の歴史は、1951年にフィリピンの米海軍基地でたった2機の改造を受けたPBY-5Aカタリナ飛行艇から始まっている。この黒猫と呼ばれた2機の飛行艇で特別電子捜索プロジェクトを発足したのだ。恐らく第二次大戦から本格化した電子捜索戦/電子妨害戦にアメリカ海軍も本格的に取り組んでいく準備を進めたものであろう。部隊は装備機種を更新しながら”VW-1"そして1955年に”VQ-1”と言う名称の本格的な電子戦飛行隊として、何と岩国基地で活動を本格化させた。VQ-1に関してニュースで大々的に報道され有名な事件と言えば、北朝鮮沖で撃墜されたEC-121の件であろう。厚木基地をベースに電子情報収集で北朝鮮に近づき行動していたとは言え、公海上で撃墜され多数の犠牲者が出た事件はショッキングであった。

私が厚木基地で写真を撮り始めた1976年頃にはVQ-1の本拠地が厚木基地にあったようで、行くたびに毎回撮れる機種の一つがEP-3だったように記憶してる。本HPではWhite Bearさんから送って頂いた1960年代の写真も展示させていただき、従来のページをリメークして、新たにVQ-1のEP-3B配備以降の歴史やマーキングに触れて行こうと思う。
↑White Bearさんによれば、PR-31が厚木基地に飛来した3月19日(17日説も有り)は、厚木展開してPR-31飛来まで待ったが、快晴の天気にも拘らず何も飛ばないので帰宅したら、後からEP-3Bが飛来した事を知らされがっかりしたそうである。リベンジで入社日の数日前の3月28日に漸く最初のPR-31のショットを得る事ができたそうで、執念が実った形だ。上写真はその2年後に再び厚木で撮影されたもの。
↑ 同じくWhite Baerさんの作品、上写真の2コマ目と思われる。上述した3機のP-3A特殊戦機は、1967年一旦アラメダに戻り長期保管される予定だったが、うち2機 149669/149678がロッキード社でEP-3Bに改造されて、PR-31/149678が1969年3月に厚木基地に配備された。続く2機目のPR-32/149669は、1969年6月に厚木に到着したと記録されている。尚3機目のP-3A/149673も1970年までに電子戦機EP-3Aに改造され、VX-1にも配属されて横田基地にも飛来している。。
↑ White Bearさんが1969年11月に厚木基地で撮影されたEP-3B/PR-31。ビューアルナンバーはBu.No.149678。この機体は、1964年にCIAの傘下にあったLTVエアロシステムズと言う会社が、台湾の中華民国空軍の特殊戦用としてP-3A 3機を改造し、黑蝙蝠飛行隊(Black Bats)と呼ばれる飛行隊で運用されていた1機らしい。その機体は全身を黒に近いダークブルーで塗り、自衛用のAIM-9Bサイドワインダーミサイルも搭載していたそうだ。つまり当時の米軍はU-2偵察機同様の方法で、米軍/CIAの所属機とみられないように中国大陸での電波収集等を台湾機に偽装して行っていたようである。
↑1971年に確認されたバニーの掛かれたPR-31。恐らく夏以降に入ったマークで、VQ-1のテールコード”PR"をプレイボーイ・ラビットと呼んでいた事に起因するらしい。ご存知アメリカで100万部以上を売り上げた男性雑誌プレイボーイのロゴ「ラビットヘッド」。オーナーのヒュー・ヘフナーが会員制のクラブで兎の衣装を着せたバニーガールも人気になり、このマークは軍でもよく使われた。
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↑ White Bearさんが、1970年8月に厚木基地で撮影されたEP-3B/PR-32/Bu.No.149669
↑ White Bearさんが厚木基地で1971年8月に撮影されたEP-3B/149678。この米海軍に当初3機しか存在しなかった電子戦偵察機が2機も厚木基地にいた訳で貴重な記録写真である。本機はブラックバッツ(黑蝙蝠)飛行隊で使われていたP-3A特殊戦機の時代は、全身ダークブルーだったが、EP-3Bに改造後は多くの電子機器を太陽熱から保護する為に、機体上面を白色に塗り替えた。
↑ 同じくEP-3BのPR-32にも同様のマークが1974年に確認されている。機体は既にグレー色に変更された後なのでラビットヘッドは黑で書かれている。但し頭の向きがPR-31と異なるのが面白い。