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EC-121撃墜事件 (White Bearさんが纏められたレポートをそのまま掲載する)
入社して2週間たった1969年の4月15日、事件が起きた。
厚木基地VQ-1所属のEC-121M(PR-21 Bu.No.135749)が北朝鮮の南西170マイル付近でMig-21に銃撃されて墜落、乗員31名が死亡したのである。
事件の概要
ジェームス オーバーストリート海軍少佐機長以下8人の将校と下士官23人が搭乗したコールサインDeep Sea-129は、6:30ごろ厚木基地を離陸、いつもの「Beggar Shadow Mission」のため日本海に向かった。
約6時間後の12:34 Army Security Agencyと韓国にあるレーダーは北朝鮮のMig-21が離陸して、追跡するのを確認した。
定刻報告予定の13:00には連絡はなく、Mig-21の機影がレーダーから消えた後、約22分何も得られなかった。
一方EC-121の親部門のVQ-1では、国家安全のネットワーク内で生じている通信をモニターしており、13:44 Deep Sea-129に対して攻撃を受けるかもしれないという「アラート3」の警告を発した。
機長は警告を受け任務を中断して、帰投することを認識した。
13:47、Mig-21の機影とDeep Sea-129の機影が重なり、2分後にはなにも現れなかった。
直ちに、KC-135と護衛戦闘機をともなった、HC-130が捜索活動を開始した。
そして、佐世保からは、駆逐艦USS.Henry W.TucterとUSS Daleが日本海に向け緊急出港した。
北朝鮮は、平城の北にある北倉基地から2機のMig-21を分解して朝鮮半島北東部にあるオラン基地に運び大型テント内で組立て、砂浜に鉄板敷きの滑走路を急造し、EC-121の接近を待っていた。
4月15日レーダーが接近するEC-121を探知、軍高官からの直接命令を受けた2機のMiG-21は直ちに発進、海岸線を越えたところでアフターバーナーに点火して、レーダーを逃れるため海上超低空を高速で目標に向かった。
2機は、気付かれる事無くEC-121Mに接近し、これを肉眼で確認、EC-121Mの正面で急上昇し反転降下してから後方に付き、まず1番機がR-3赤外線誘導空対空ミサイル(NATOコード:AA-2 Atoll/アトール)2発を発射、
ミサイルはEC-121Mのエンジンに吸い込まれて爆発した。 続いて2番機が後方からK-13 2発を発射。
これは、胴体部分を直撃しEC-121Mは爆発して四散した。 この後、現場に急行したソ連の情報収集船が大急ぎでEC-121Mの残骸を回収したという。
なおEC-121Mは常に公海上を飛んでおり、北朝鮮領空は侵犯していなかった。 撃墜されたのも公海上である。
↑ 1967年5月 伊丹の新明和に飛来時に撮影されたEC-121M/PR-23/Bu.No.135752。1965年5月に厚木に配備された機体で、ベトナム戦ではロケット弾攻撃で被災、その後修復されて復帰。尾翼のシリアル下にある機体形状が黒く塗られていた。
撃墜されたVQ-1のEC-121Mの他に、VQ-1では数機のEC-121Mを使用していた。White Bearさんから、追加で送って頂いた他の機体も本項で展示したい。White Bearさんによれば、PR-24だけは撮る機会が無くかったそうだ。PR-24/Bu.No.153547は厚木に着陸時、車輪の不具合でオーバーランして失われ、次のPR-24/Bu.No.154936は、地上火災により損傷し恐らく活動期間が短かったのであろう。。
↑ 1967年5月 厚木基地で撮影されたEC-121M/PR-25/Bu.No.145940。1981年5月にスクラップ
↑ 1970年8月 厚木基地で撮影されたEC-121M/PR-27/Bu.No.143186。1981年5月スクラップ
↑ 1971年8月 厚木基地で撮影されたWC-121N/PR-52/Bu.No.143205 。1971年7月VW-1の解体に伴いVQ-1へ移籍された機体。
↑ 1967年3月 厚木基地で撮影されたEC-121M/PR-26/Bu.No.145927。White Bearさんによれば、この時が初飛来だそうで、主翼のチップタンクを付けていた。1970年3月16日台湾の台南市からベトナムのダナンに帰投時。ダナンのランウェイに進入機を発見し、これをかわそうとして失敗、格納庫やF-4D等と激突して失われた。
↑ 1967年5月 伊丹空港飛来時に撮影されたEC-121K/PR-22/Bu.No.143209。当時伊丹空港に隣接する新明和の工場に点検か修理目的で来たもの。本機は後にM型に更新された。
(All Photos & Text by White Bear)
↑ 本機が撃墜される僅か1か月前にWhite Bearさんが厚木で捉えたVQ-1 EC-121Mの姿。翌月15日に本機は日本海で散って行く事になろうとは、だれも予想できない事であったろう。亡くなった31名の乗員の冥福を祈りたい。
↑ White Bearさんが、1968年に厚木で撮影されたVQ-1のEC-121M。撃墜事件が起きる約1年前の写真である。電波収集の為のアンテナ類が胴体の各所に付いているのが判る。マーキングはP-3Aなどと同じ、黒っぽいブルーで下面が塗られていた。厚木で見られたVQ-1のEC-121Mは、Modex21~27があったようだ。