↑ 1977年 厚木基地に飛来したVQ-1のEA-3B/Bu.No.146459。コックピット後方に黒い矢尻が書かれたレアなスカイウォリアーで、しかもUSS ENTERPRISEと艦名/CVW-14の表記も有り、興奮した被写体である。
↑ 普段の厚木基地ではテールレター”PR”と機首のModex以外、何も書かれていないEA-3Bしか撮れなかった中、USSコンステレーッションの横須賀寄港に伴って厚木に降りたEA-3Bは、尾翼の付け根に赤いシェブロンが・・・しかも 当時あこがれの”CVW-9”の文字がスピードブレーキの下に書かれている。これだけで興奮である。PR-007(144849) 1977年10月
↑ ↓ PR-001とPR-007では、後部キャノピーの分割形式が異なる。機体によっては後部キャノピー左右が異なるケースもある。
EA-3B/TA-3B Page-4
1977年から1979年に掛けて、横須賀を母港とするUSSミッドウェイ以外の空母が複数横須賀に寄港するなどして、珍しく厚木基地では海軍機の外来を撮る機会が増えた。それに伴い、EA-3Bの方にも変化が見え始め、空母名を入れた機体や、ボディに多少のアクセントを入れた機体などを目にする事ができた。KA-3B/RA-3B等 往年の派手なスカイウォリアーを見てきた厚木の先輩諸氏にしてみれば、大した変化ではなかったかもしれないが、モデックスとテールコードしか書かれていないEA-3Bに目が慣れていた私にはとても大きな変化に見えたのである。
↑ 1978年2月頃 太平洋上のUSS キティホーク艦上で確認されたVQ-1/PR-004/Bu.No.146459。この機体も1977~1978年には珍しく蝙蝠の図柄を描いていた。コックピット後方には、消し残りと思われる黒いラインの後が残っており、↓写真のラインを消した後だと判る。
↑ 1977年嘉手納基地に飛来したVQ-1/PR01/Bu.No.146450。尾翼には兎の様な耳を付けた小さな蝙蝠が書かれていた。
↑ 1979年6月末 VQ-1の2機のEA-3Bが嘉手納基地の旧海軍エリアに飛来していた。この2機のスカイウォリアー電子戦機は、同年10月にUSSキティホークの艦上で見たEA-3Bと塗装も殆ど同じであったので(001/007の尾翼の塗り分けも同じ)、恐らく同じ機体だと考えられるが、この1979年の夏は嘉手納基地に飛来していた艦載機の殆どが、近海にいたUSS RANGERのCVW-2であった事から、キティホークも近くまで来ていたのかもしれない。
↑ 私にとっては、VQ-1/PR-001を見る最後となった1979年10月、このEA-3B/Bu.No.146450は、1982年8月4日インド洋上でUSSレンジャーから発艦後、墜落して失われており、その後 VQ-1は”001”を欠番にしたと言われる。
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↑ 1979年10月のUSSキティホーク横須賀寄港に伴い、艦内および甲板が解放されて、当時最新鋭のF-14Aも間近で見る事ができた。トムキャットに目が行き過ぎてあまり注目されなかったが、艦上にはVQ-1のEA-3B/PR-001/007がいたのである。彼らはCVW-15(NL)の面々の中で運用されていたが、CVW-15にはEA-6Bを持つVAQ-135が搭載されていたので、どのようなすみ分けで、電子戦運用されていたのかは不明。
↑ 1977年~1978年頃にはModexは殆ど3桁となって、機体の改造も殆ど行われなくなっていた。上写真は厚木基地のお墓にあった1本の大きな木の上から撮影したVQ-1のEA-3B/PR-006。お腹に付けているカヌー型のECMレーダー装置はブリスターレードームとも呼ばれた。A-3爆撃機の爆弾艙を改造して与圧機構を導入して、ECM操作員を収容したとされる。
↑F-14Aトムキャットを満載した空母が横須賀で公開されるぞ!!大興奮の中 横須賀の埠頭から見上げるような飛行甲板にずらりと並ぶ艦載機を撮影した。ちっとも良い写真にはならなかったが、それでも大満足の1日であった。F-14Aに興奮する。そんな中”PR-010”は、比較的撮りやすいポジションに置いてあった。機首のModexは、残念ながら角度が悪くファインダーの射程外であったが 翼に”010”と書かれているのが写り込めば ”PR-010”である。EA-3B/PR-010(Bu.No.144854)
↑ 真夏の沖縄嘉手納基地はうだる様な暑さであるから、EA-3Bの搭乗員が観測用扉やハッチから、このように身体を出したいのは良く理解できた。彼らも嘉手納基地のマニアが集うサンパウロの丘に目をやって、我々に手を振った。