VQ-1の配属機を以下に示す。
↑ 1968年3月11日厚木基地の北側に向かって離陸するVQ-1のEA-3B/PR-12/Bu.No.146450。本機もEA-3B/Bu.No.144855と共に1960年1月.21日に岩国基地に初めて配備された2機の内の1機であるが、その後ModexがPR-7/PR-01と変化して、1982年8月4日インド洋に於いてUSS RANGERでミッション中墜落した。
↑ 同じく1974年6月に厚木基地でも確認された胴体前部に青い帯を入れたVQ-1のEA-3B/PR-7/Bu.No.146450。尾翼にも同系色で帯を入れ、大きなVQ-1のシンボルであるBatを書き込んでいる。同様のマークはEP-3E/PR-36にも入れられたが、1年足らずで消されたとの事。
↑1970年10月 KA-3B(NG-611)を含んだ7機編隊で飛行するVQ-1のEA-3B群,先頭はTA-3B/PR-00/Bu.No.144860。この時はUSS AMERICA (NG)の出港を撮りに行った日である。
EA-3B/TA-3B Page-2
前項に引き続き、本項でもWhite Bearさんが纏められたVQ-1のEA-3Bについて、氏の撮影された写真とレポートを抜粋してお届けしたい。前項と本項では、写真を年代順に並べるのではなく、VQ-1に所属したEA-3BのModexをベースに仕分けして並べ展示してある。これはWhite Bearさんが、ご自身のとある記念日にVQ-1のレポートを纏められ冊子とされた資料をベースにした故である。EA-3Bは1960年代当時から秘匿性の高い任務を負っており、機体の正体が判るビューアルアンバーなども非常に小さく描かれていた。当時の厚木の諸先輩方が、いくら撮影技術に優れていても、今のように機材が揃っている時代でもなく、情報も少なかったのであるから、少しずつ撮り貯めた写真を基に分析を行って、推測も加えながら被写体の実態に迫っていたのである。氏のレポートからもその辺のご苦労が偲ばれる。(2025年8月 記)
↑ VQ-1に人員輸送用として配備されたTA-3B/PR-00/Bu.No.144860。左エンジン先端部が上下グレーと白の塗り分けになっており、他機からの流用と思われる。
↑ 1968年VQ-2から移動してきた機体で、ニックネームを「Floor Space」と呼ばれていた。この機体の尾部には銃座跡にクロスブレードアンテナが装備されていた。着陸後 基地南東部をタキシングしてエプロンに戻る際に撮影。本機を撮影できたのはこの時だけだった。300㎜レンズ使用。本機も陸軍の使用による関係か、NAVYの文字は描かれていない。
↑ 1974年に確認された尾翼に大きな蝙蝠を描いたVQ-1のEA-6B/PR-03/Bu.No.146452。蝙蝠は翼を上部にそらしており、VQ-1のインシギニアとは少しデザインを変えている。このマークは、同時期のPR-01
にも施されていた。
↑ 厚木基地から北側(R/W19)に向けてタキシングする同機を通称「お墓」から撮影。本機は後にVQ-2へ移動し、JQ-18として使用され、1986年10月に退役した。
↑ 1969年5月2日厚木基地北側から着陸するVQ-1のEA-3B/PR-8/Bu.No.不明。正面に近いので機番が見にくいが、PR-8である。1965年11月にマニアに撮影された写真にPR-8/Bu.No.146451とある。1968年頃から”8”と”9”が紛らわしい事から使われなくなってしまった。
↑ 1969年5月厚木基地に着陸するTA-3B/PR-00。この機体の他にTA-3B/Bu.No.144862も存在したようで、厚木基地で尾部のみ撮影。
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↑ 1970年10月11日厚木基地北側から着陸する動機に近寄って撮影。黒鼻でPR、16の文字が書かれている。1960年代に撮った時は何れも書かれていなかった。
6本ひげ ”ひげろく”と呼んで親しんだEA-3Bの特別バージョン。2機だけ存在し、陸軍のSECURITY AGENCY SAD (Special
Activities detachment)で運用された。パイロットは海軍所属。SAD-1とSAD-2があり、SAD-1(VQ-1)は厚木基地、SAD-2(VQ-2)は当時の西ドイツ ラムシュタイン、トルコのアダナに基地をおいていた。同機はニックネーム「Seabrine」と呼ばれていたそうだ。この機による太平洋における陸軍のミッションは、エーダック、モーリシャス、ミッドウェイ、オーサン、シェミアをベースに行われた。

↑1971年8月15日or16日厚木基地北側に向け離陸するPR-15(Bu.No.不明)
この写真はお墓の木の上からではなく、お墓の近くの地上からの撮影であるが、鉄条網の最上部とフェンス支柱が写り込んでいる。EA-3が時々見せる低い上がり、J57のジェットノートがだんだん高まってきて最高になり、そしてギアを畳みながら遠ざかって行く・・・・・もう一度あの音に出逢ってみたい。
本機は、尾翼下燃料排出ベント前方に小さく「機種」「Bu.No.」が書かれているが、シリアルは写真からは判読できなかった。何か違う???と思ってみたらエアブレーキ板に「NAVY」の文字が書かれていない。胴体下のカヌー型ECMアンテナは、大型のものに取り換えられ、尾翼尾部のコーン型ECMアンテナは取り外されているが、機首下部にはL型アンテナが付いており、最終改造状態に近い。また 左エンジンカバーを撮り換えたようで、「JET
INTAKE」の注意文字V字型先端が二重になっており、ガルグレーと白の塗り分けもなされていない。TA-3の物を借用しているのかも・・・1枚の写真を良く眺めていると、色々発見できて面白い。
これは私が入社3年目の夏休みに訪れた厚木基地でのスナップ。横須賀にUSS ORISKANYが入港しており、NMの機体を数機撮る事ができた。
この頃マイカーもまだ無く、大垣発の普通電車東京行で、確か500円程度の安い料金で乗れるグリーン車を利用して行くのが常だった。この電車は普通電車と言っても名古屋を出ると静岡ぐらいしか止まらない結構速い便利な電車で7時前後には厚木に着く事ができた。
そして大和駅付近の早朝から開いている喫茶店で朝食を取り、相鉄線のトンネルへと歩いていくのである。中に何かいるかも!との期待を胸に・・・・
↑ 1968年4月2日から5日にかけて、PR-14は何度かの撮影のチャンスがあった。上の写真は友人に借りて行った400㎜レンズで撮影したもの。長いレンズで撮った画像はやはりよい!トップ光線でややシャドーがかかっているが、半逆光のこう言う画像も好きだ。改造前のEA-3Bであるが、写真では見えないが右翼下には四角いブレードアンテナがあった。これが付いた機体は1966年7月に初めて撮ったPR-1と、1968年3月に撮ったPR-2、1969年11月に撮ったPR-3/Bu.No.144855の3機である。垂直尾翼前縁ブーツは上端部分のみ黒い、CLE主翼付きではない初期型EA-3Bである。
( All Text & Photographs by White Bear )
本項、以下の掲載写真とテキストは全てWhite Bearさんによるものです。
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