1959年の半ばにF8U-1クルセイダース戦闘機に更新、本拠地をMCASビューフォートに移動し、ベトナム戦にも参加。この間に厚木基地などに何度か飛来して、航空マニア達を喜ばした。1966年には、F-4Bファントム戦闘機に機種更新して、1973年にJ型に再び更新。1979年以降 半年にサイクルでの岩国派遣部隊に加わっている。
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VMFA-312
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1966年2月にF-8Eから、海軍のF-4初期に当たるF-4Bに更新、B型を1972年まで使いF-4Jに機種更新した。B/J型時代の考えられないほど派手なマーキングは、1979年7月に日本の岩国基地展開までは維持されず、我々日本の航空ファンが見た彼らは尾翼のラダーのみチェックが入ったものだったが、それでもロービジ(低視認性)塗装の波が迫る中、まだ派手な部類だったのかもしれない。本項では1979年7月岩国基地派遣以降に直ぐに嘉手納基地で訓練を開始したVMFA-312の訓練風景を中心にご紹介する。
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F-4J/DR-11/Bu.No.155838
この年夏の嘉手納基地はVMFA-235(DB)の訓練が6月から盛んに行われており、VMFA-312は7月から訓練に加わった。

Insinia of VMFA-312

↑ 1979年7月に岩国基地に配備され1か月も経過しない内に沖縄の嘉手納基地で訓練を始めたVMFA-312のF-4J。このシーンは嘉手納基地初飛来の様子でサンパウロの丘で無線を聞きながら飛来を待っていた多くの航空ファンは初めて見るチェッカーボードのマーキングに興奮しながら、シャッターを切った。フィルム時代は残りのフィルム数を気にしながら撮影をしていた為、このような初飛来のタイミングでも1枚しか撮っていなかった。
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太平洋う戦争終結後も1946年2月まで沖縄に駐留していたVMF-312は、1950年カルフォルニア州のエルトロ海兵隊基地に戻り、二人乗りの夜間戦闘機F7F-3タイガーキャットに機種更新し、1951年には朝鮮戦争に参加し、艦隊護衛と港岸封鎖などに任務をこなしている。
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↑ 1976年1月頃にフロリダ州のNASキーウェストで確認されたマーキングで、との塗装が何機に施されたのかは分からないが、Modexも部隊番号も無い事、他に写真が見当たらない事から試行的にされたマーキングである可能性が高い。F-4J/DR-14/Bu.No.153893
↑ 1976年の建国200周年を記念して限定的に施されたスペシャルマーキング、他の部隊は代表して1機だけ記念塗装をしていたが、同隊はほぼ全機がこの塗装となっていたので、デザインの全面的変更とも思われていたが、1976年の秋にはラダーがチェックだけのマーキングに変ってしまった。チェック模様を囲むための分割ライン(トリムライン)に使われた赤と黄が強調されたデザインである。F-4J/DR-4/Bu.No.153861
↑ B型からJ型の更新した頃、F-4B型から踏襲したマーキングで1976年まで使われたと思われる。白黒の市松模様(チェック)を分割するトリムラインに赤と黄色を使用しており、これは同隊のシンボルでもある。F-4J/DR-3/Bu.No.155733
Wings
F-4J
↑ F-4Jになって初めて岩国基地に配備され、1979年6月に嘉手納基地に初飛来している。尾翼のチェックは、1943年に当時のVMF-312が逆ガル翼の名機 F4U-1コルセア戦闘機のエンジンナセルと尾翼ラダーに付けた市松模様から継承されている。
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↑ 嘉手納基地で離陸の為、R/W-23エンドで待機する2機のF-4J。なんと彼らの前進であるVMF-312の最初の実戦経験がここ沖縄だった。米軍が沖縄を占領後、中飛行場と呼ばれた当時の嘉手納基地をベースに終戦まで戦い、日本軍機約60機を撃墜している。その多くは、沖縄に飛来する特攻機と思われる。