VMFA-235
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F-4J Death Engels
(1943~1996)
前ページでもご紹介したが、オカルト風の部隊名を冠したこの飛行隊(VMFA-235)は、ハワイのカネオヘに駐留していた1970年前後から1975年ぐらいまで所有するF-4Jファントムのレードームを真っ赤に塗り、そこに白い星を散りばめた今では信じられないマーキングが施された。このF-4Jの写真を航空雑誌で目にした時は、本気でハワイに撮りに行きたいと思った程だった。ただ、当時の貧乏学生にとってハワイは夢のまた夢、私の財布が首を縦に振る訳がなかった。F-4J時代岩国に最初に移動してきたのは1977年の秋。この時のテールレターは、DとBの文字が重なり尾翼の星の入った赤いラインもゆるやかな曲線で弧が描かれていた。1979年の4月に再び岩国基地に派遣された際は、DとBは重なっておらずラインも折れ線に変更されている。1980年にはF-4Sに機種転換し DB→WD→WTの順に6ヶ月ローテーションで岩国に移動して来ていた為、日本のマニアにはすっかりお馴染みの部隊となった。残念ながら1996年に部隊は解散している。(2002/3/2 記)
↑ フニュ師匠が若い頃・・・厚木基地のR/W-19で着陸を捉えたVMFA-235のF-4J。この年2月に同隊のDB-04/Bu.No.155508が滑走路で着陸時事故を起こし、基地作業員4名が死傷し機体も失われたそうである。大新聞に載っていないが大きな事故だったようで、機体は再起不能となった。同年1月に事故ではないが、DB-08/Bu.No.157269が緊急着陸で防府基地に降りている。
↑ 不肖私めが、1978年に唯一撮影したVMFA-235の2機編隊離陸。1978年の春先と記憶しているが、晴天の中R/W-01で低い離陸だった。
↑ 横田基地石川島播磨工場付近のタキシーラインを滑走して、R/W-18で離陸に向かうVMFA-235のF-4J。昔はフェンスが2重では無かったので高い脚立は必要も無かった。
↑ 1977年10月に岩国基地に展開したVMFA-235は、その珍しいマーキングで横田基地に飛来。フニュ師匠は早速厚木から横田に向かい2機のF-4Jを撮影した。
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↑ R/W-18に進入する前のタキシーラインで待機する2機のF-4J。午後はこの方向からは逆光であるのが難点だが、タキシーの様子を身近で見られるため、横田周辺の航空ファンは好んでこの場所で撮影をしていた。
↑ F-4Jに機種更新された1969年以来ハワイを出る事が無かったVMFA-235は、1977年10月初めて岩国基地に展開した。東アジアへの展開は1968年以来である。尾翼のマーキングは8個★で斜文字と重ね文字で”DB”と書かれているが、この年が最後となった。F-4J/DB-00/Bu.No.153878
↑ レドームを赤く染め星を散りばめたマーキングに、ラダーにも死神を入れた塗装は、F-4J時代では一番有名な物であろう。プラモデルの塗装例としても良く出てくるものだが、実機で運用された期間は極短い期間である。赤いレドームは5年ほどあったが、死神の記入期間が短かったためである。F-4J/DB-9/Bu.No.153879
Wings
↑ 松野主税氏が1978年岩国基地で撮影されたVMFA-235のF-4J。私もこの頃一度岩国基地に外撮りに行ったが、夏場は陽炎で殆ど絵にならなかった。また持って行ったシグマの400mmレンズでは映像も小さすぎた。
F-4J