VMFA-235
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F-4J Death Engels
(1943~1996)
VMFA-235は、その前身となる飛行隊VMSB-235がカルフォルニア州のエルトロ海兵隊基地で誕生した所から始まる。創隊当初の彼らは急降下爆撃機ドーントレスを装備して、太平洋方面のブーゲンビル島の戦いやガダルカナル方面で活動した。飛行隊は太平洋戦争中に一度解散したが、1950年に逆ガル翼のF4U-1コルセア戦闘機を運用する戦闘機部隊として復活し、その後F9Fパンサー戦闘機、そしてFJフェリー戦闘機、F-8Eクルセーダー戦闘機と機種を更新している。1966年1月31日からアメリカ軍は北爆を開始したが、同隊も2月1日からベトナム戦に参加している。1966年はベトナム戦争でも最も激しい戦闘が繰広げられた年で、4月14日のタンソニエット空軍基地の奇襲攻撃、各地での反政府デモ反米デモがあり、B-52による本格的なハノイ・ハイフォンの爆撃が挙行された年になる。VMFA-235は、北爆に参加して11月までの間に6000回以上の出撃を行った。年末に一度本国に戻っているが、1967年2月に再びベトナムに向かい1968年5月まで南ベトナムで最後のF-8クルセーダー戦闘機飛行隊として戦っている。1968年9月6日部隊名をVMA(AW)-235からVMFA-235に変更し、F-4Jに機種交換している。
↑ 1977年5月ハワイのカネオヘ海兵隊基地で撮影されたVMFA-235の司令官指定機F-4J/DB-00/Bu.No.155878。何とこの時期、全てではないが、多くの機体の赤い尾翼のラインに8個の星が書かれていた。次ページでも8個★が出てくるが、1977年のマーキングだけの特徴である。
↑ F-4J/DB-05/Bu.No.153878の尾翼。黒装束の死神が血の滴る剣を持った絵柄は、恐らく1974~75年頃に書き加えられたと思われる。また死神のデザインも統一されたものだけでなく、幾つかのパターンがあった様である。
↑ 上の2枚の写真は何れも渡辺明氏が、1975年8月にカルフォルニア州のノースアイランド海軍基地で撮影されたVMFA-235のF-4J/DB-11。既に赤いレードームのマーキングは無くなっていたが、尾翼にはディスエンジェルスが書かれている。
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↑ 1975年9月に撮影されたVMFA-235のF-4J/DB-7/Bu.No.153907。撮影場所は不明ながら、尾翼の死神のデザインが、異なっているのが面白い。いずれにせよこのラダーに書かれた死神が存在したのは1975年ぐらいまでと思われ、1976年以降の同隊のF-4Jからは殆ど見られなくなっている。
↑ VMFA-235がハワイのカネオヘ海兵隊基地に展開していた1969年前後の時代のマーキングで、現在殆どSNS等でも写真が無いので、詳細を再確認できないが、F-8クルセーダー戦闘機時代の塗装を踏襲した最も派手な物だった。この塗装がはどこされる前はレドームを黒く塗り、胴体に赤い直線を入れていた。F-4J/DB-41/Bu.No.153872
Wings
↑ 1976年8月 マラマー海軍航空基地で撮影されたVMFA-235のF-4J/DB-04/Bu.No.15508。1975年まで一桁番号のModexまでは”0”を付けていなかったが、他の海兵隊航空部隊に合わせるように”04”と2文字を使うようになっている。尾翼の星の数は7つである。
↑ 基本的には一つ上のイラストと同じマ^キングであるが、テールコードの書き方が斜文字で、しかも文字を重ねる独特のスタイルに変わった。この部隊は殆どハワイを出る事が無かったため、海外での撮影記録が少ないが、1975年ぐらいまではレドームの塗装が残されていたようだ。F-4J/DB-1/Bu.No.153817
↑ 今では伝説的なマーキングであるが、F-4ファントムで唯一レードームを真っ赤に染めて星を散りばめたマーキングで話題を浚った。1970年頃はテールコード"DB"の書き方は単純に横に並べただけであったが、その後字を重ねたり、斜文字に変化させることになる。DB-13は、インテークベーンに撃墜したと思われるターゲットドローン3機が書かれている。
F-4J