VMFA-232
↑ 1967年にF-4Jファントムを受領して、恐らく最初のマーキングが上のイラストの塗装だと考えられる。この塗装で1969年位はベトナムのチュンライに2度目の遠征を行った。F-4J/WT-12/Bu.No.155795
VMFA-232は、海兵隊のスコードロンの中で最も長い歴史をもつ飛行隊の一つであり、その生い立ちは1925年に遡る。何と日本海軍の真珠湾攻撃によりオワフ島で全滅に近い損害を受けたのがこの部隊だったのだ。大戦中はSDB-3ドントレスや TDF-1アベンジャーの配備を受け、海兵隊の攻撃部隊として活躍したが戦後一度解散し、1948年に戦闘機中隊として復活している。
 VMFA-232は、1967年9月にMCASエルトロでF-4ファントムを受領し、赤い悪魔をこの新しい機体に書き込んだ。岩国に配備され、派遣されたベトナムでは1972年の春期攻勢に対応して、タイの基地を拠点にラインバッカ-作戦などに参加した歴戦の部隊である。本項ではWhite Bearさんが岩国基地で撮影された同隊初期のマーキングを施されたF-4Jを中心に掲載する。(2002/5 記 2025/9 追記))
VMFA-232は、F-8Eクルセイダー戦闘機を装備していた時代、すなわち1966年からベトナムのダナム基地に展開して同年12月までの290日に約5700回の出撃を行っている。当時 同隊のF-8EにはTPQ-10という爆撃レーダー受信機が付いており、海兵隊で唯一2000ポンド爆弾を運用で来たそうで、この年6200tもの爆弾を落としている。1967年に一度ハワイのカネオヘ海兵隊基地に戻り、F-4Jを受領して岩国からベトナムのチュンライ基地に展開して、ベトナム戦に再度従事しているのだ。写真は丁度その頃のものである。
F-4J/WT-12/Bu.No.155795
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F-4J/WT-13/Bu.No.155784
F-4J/WT-8/Bu.No.155732
Wings
F-4J
↑ 1970年には部隊徽が尾翼に掛かれるようになり、インテークにデビルの顔も入った。本機は1972年8月26日のラインバッカー作戦で失われた3機の内の1機で、唯一北ベトナムのMig-21に撃墜されているレッドデビルスのファントムでもある。F-4J/Wt-10/Bu.No.155811 shot down by a Mig-21 in 1972
↑ 1969年当時のVMFA-232の隊長機WT-1。胴体中央部に”COMMANDING OFFICER"と隊長名である”LT.COL. RALPH J.SORENSEN”の文字インテークには、鬣のある馬の様なマスコットが書かれている。情報はWhite Bearさんから頂いたもの。
VMFA-232は、南ベトナム人民解放戦線(通称ベトコン)と北ベトナム軍が1972年の旧正月の休みに展開した所謂”テト攻勢”により、再びベトナムのダナン空軍基地に展開、その後本拠地を隣国タイに移し、そこからラインバッカー作戦にも参加している。この作戦中 3機のF-4Jを失い、乗員2名が戦死。内1機は北ベトナム空軍のMig-21に撃墜されたとされる。
↑ White Bearさんが、1969年9月に岩国基地で撮影されたVMFA-232の隊長機 WT-1/Bu.No.155822.。インテークに白い馬の様なマスコットが書かれている。この機体は同隊中央に当時の部隊長名が大きく書かれた珍しいマーキングである。レッドデビルスは既にベトナム戦で大きな実績を上げていた。この機体は1977年時点でもWT-1で活躍しており、私も後に出会えた機体だ。