1942年3月にハワイのエワ海兵隊基地で創設された古い飛行隊で、F4F-4ワイルドキャット戦闘機を装備してニューカレドニア島を拠点に活動。後にヘンダーソン飛行場に移動し、日本海軍航空隊とガダルカナル方面で死闘を展開した飛行隊のひとつである。その後はF4U-4コルセア戦闘機に機種交換してフィリピン奪回作戦や沖縄戦にも参加、132機の日本軍機を撃墜、7名のエースを生んだ。1950年代には勃発した朝鮮戦争にも駆り出され、国連軍が快進撃している時は北朝鮮の延浦飛行場まで進出して北朝鮮軍の攻撃に従事している。この頃の部隊ニックネームはデビルキャットであった。
同隊はA4D-2スカイホークの運用を経て、1963年7月にF-8Bクルセーダーを受領し、この時に現在の部隊ニックネーム”ランサース”に変っている。アメリカ海軍空母に搭載されて空母航空団(CVW-16)の一員として、1965年6月から約半年間ベトナム戦を戦っている。この時空母から出撃した当時の第16空母航空団の司令官がベトナム上空で撃墜されたため、VMFA-212の隊長が歴史上初めて空母航空団の司令になっている。1968年にF-4Jを受領、1972年に再びベトナム戦に参加。1979年9月岩国に配備された時はグレー色のF-4Jとなっていた。(2003年10月 記)
↑ VMFA-212は1972年ハワイから南ベトナムのダナン基地に移動、この1972年ベトナムで始まった北ベトナムによる春季大攻勢に対応してベトナム南部を爆撃している。イラストは同隊がダナンに展開している時のF-4J/WD-6/Bu.No.153813
↑ 1968年にVMFA-212はF-4Jを受領、ハワイのカネオヘで編成を完了した時点でこの新マーキングを施されている。マーキングは空母艦上からベトナム戦に参加したF-8B/D時代のデザインを一部踏襲している。F-4J/WD-4/Bu.No.153819
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↑ このF-4J/153813は、ベトナム戦でダナンに同隊が駐留していた時代からModex WD-6で活躍していた機体で、歴戦の機体である。
F-4J/WD-6/Bu.No.153813
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(1942~2008)
↑の写真は、1975年8月アラメダ海軍航空基地にて渡辺明氏が撮影したものであるが、その時の様子を以下のように記述されている。「アラメダ基地を離れる前に一度エンタープライズが停泊している岸壁へ行ってみよう」と ピートが言った。岸壁と言っても、航空基地のすぐ脇にあり、エンタープライズの向こうにはオリスカニが停泊している。エンタープライズの停泊している桟橋にはクレーンで下ろされたばかりのファントムが2機見える。エンタープライズのVF部隊には、すでにトムキャットが配備されているのだから、それではエンタープライズで運ばれてきたファントムは、いったいどこの飛行隊のファントムなのだろうか?エンタープライズの方へ近づいていった。よく見ると見慣れない白っぽい尾翼のマーキングである。「オー!あれはハワイから運ばれてきたやつだ」と またしてもピートがニコニコしている。「ヨーシ 明日もう一度ここに来よう。明日ここに来た時には、おそらくあの2機のファントムは、管制塔前の外来機の列線に並べられているはずさ。そうすれば明日 あの2機をバッチリ写せるじゃないか」とピートが言う。(航空情報1977年2月号の記事から抜粋)
↑ ”ランサース”(Lancers)と言うニックネームとバルケンクロイツのマークを使い始めたのは、1963年7月に当時の新鋭戦闘機F-8B クルセーダー(十字軍)を運用開始した時である。新鋭機のニックネームに合わせ、それまで使っていたデビルキャットを改めて、当時の飛行隊副長エド・ラッティ中佐夫妻が十字軍に関連したキリスト教の十字の盾と十字軍が使った長槍ランサーをモチーフとして、デザインを考案したのである。
↑ 渡辺氏の記事にもあるように、ベトナム戦に於いてダナン基地で活躍したこれらの機体も損傷が激しく、恐らく修理やメンテナンスの名目で本国に戻され、VMFA-212は1975年前後で部隊のF-4Jの入れ替えを実施しているようである。インテークベーンのペイントはパイナップルの産地ハワイから砂漠のサボテンを代表するユマまでの行程を示しているのではないだろうか・・・・