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VMFA-122がF-4Jを装備してから初めての岩国基地派遣が1978年7月で、翌年7月までの1年間の駐留期間であった。私が彼らに初めて出会ったのは、1979年7月に岩国のMAG-15に配備された後になるが、1978年9月の嘉手納行と1979年7月の嘉手納行の2回撮影のチャンスがあった。当時VMFA-122のF-4Jはラダーに蒼い剣のマークを入れただけのシンプルな塗装だったが、1年の日本滞在の間に彼らを可能な限り撮りたいと嘉手納基地周辺で駆け回った。彼らはF-4Sに移行した後まもなくFA-18Aに更新した。VMFA-122は1986年にF/A-18Aに機種転換し、VMFA-314についで海兵隊で2番目のホーネット飛行隊となった。ローテーションで岩国にも来るようになり撮影の機会も増えた。
F-4J/DC-257/Bu.No.153904
↑VMFA-122が1947年初代FH-1ファントム(後の名機ファントムⅡではない)を受領し 海兵隊最初のジェット機部隊となった際、デモンストレートチームとして海兵隊航空をアピールした。この時のチーム名が「フライング・レーザーネックス」
↑ 1978年岩国基地駐留時、見慣れない250番台のモデックスを付けており、上写真のModex256機のように背中に”USS MIDWAY"の文字を入れていた。これは、彼らが空母での離着艦資格を持って艦載機として運用されていたことを意味している。
↑ 同じく訓練を終え嘉手納基地旧海軍エリアに戻るVMFA-122のF-4J。この機体もS型に改造された後、アンドリュースのVMFA-321に移動し、海兵隊最後のファントムとしてVMFA-321”MG-000”のスペシャルマーキングを入れた機体である。
↑ 1978年9月訓練を終え嘉手納基地に戻ってきたVMFA-122のF-4J/DC-253/Bu.No.153840。この機体は後にS型に改造されて、当時厚木をベースにしていたVF-161に配備された。
↑1978年9月嘉手納基地で訓練を終え、R/W-05に着陸しエコータキシーラインから、旧海軍エリアに戻るVMFA-122のF-4J/DC-256。彼らが、最初にF-4Bファントムを受領したのは1965年1月以降で、ファントムを運用して18年が経過していたが、F-4時代はMCASエルトロでF-4Bの訓練に習熟した後、直ぐにベトナム戦に投入されダナン空軍基地をベースに活動した猛者達であった。
F-4J/DC-256/Bu.No.153911
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↑ イラストは同隊が1978年夏頃に空母ミッドウェイに艦載機として展開した時のもので、Modexが3桁番号に変更されていた。DCと言うテールコードを付けたファントム部隊の岩国派遣はこれが最後であった。F-4J/DC-252/Bu.No.153858
F-4J/DC-253/Bu.No.153840
F-4J/DC-262/Bu.No.153857
↑ 上の写真は何れも沖縄嘉手納基地R/W-05での着陸の模様。
F-4J/DC-260/Bu.No.153869