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↑White Bearさんが1969年3月に厚木基地に着陸するVMFA-122のF-4B。同隊は白いレードームの機体が多かった中で、レードームが黒く塗られた比較的珍しい機体である。
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VMFA-122は、1942年3月に部隊の前身VMF-122が誕生している。この年の3月と言えば日本軍がジャワ島に上陸するなど、太平洋各地で破竹の勢いを見せていた時期である。当時部隊の前身であったVMF-122はF4Fワイルドキャッツを受領し、その後かのガダルカナルの攻略作戦に参加している。F4FからF4U-1コルセアに転換後、ヘンダーソン飛行場等をベースに太平洋戦線で35機の日本軍機を撃墜するなど実績を上げた飛行隊だ。その頃、彼らの部隊名は「キャンディ・ストライパーズ」。この名前は後に看護助士の総称にもなったそうだが、赤と白の縞模様が.由来である。2度目の太平洋方面派遣では激戦となったぺリリュー島攻略戦を航空支援するもので、同隊はナパーム弾とロケット弾を用いて支援したとされる。終戦時点ではぺリリュー島の飛行場に駐留していた。戦後 チェリーポイント海兵隊基地に戻っている。
VMFA-122は海兵隊でFH-1ファントム(初代ファントム)を最初に受け取った部隊であり、またF-8クルセイダーを最初に配備された部隊でもある。FH-1を運用中に海兵隊最初のデモンストレーションチーム”Flying Leathenecks”をの運営母体となった為、後々までこのチーム名を誇りにしてきた。1951年4月に海兵隊航空部隊として始めて、ジェット戦闘機による空母甲板での運用が出来る飛行隊資格を取得、その後米空母艦載機の一員として各地を渡り歩くことになる。1952年F9F-5 パンサー艦上戦闘機を受領して、空母コーラルシー(CV-43)における長い航海と訓練に励む事となる。

VMFA-122 in Vietnam
VMFA-122は、F-4B運用時代の1967年8月の夏場から、当時の南ベトナム(ベトナム共和国)へ派遣され、ダナン基地に駐留してベトナム戦に参加した。ダナンにいる5か月間に2540回の出撃と4800tの爆弾を投下したと記録されている。1968年2月の旧正月に始まったテト攻勢では,ケサン攻防戦で高地を守る米海兵隊を支援して600回以上の出撃をしている。同隊は1968年9月にもベトナムへ派遣され、この時はチュンライ基地をベースに活動した。
特にダナン基地に駐留している頃、当時の飛行隊長ジョン.M・ウェルディ中佐(Lt.Col.Verdi)率いるチームは彼の発案でF-4Bにガンポッドを3基懸架して、地上掃射に使うなど効果的な攻撃方法を生み出した。ガンポッド3基での威力は毎分6300発にもなった為 中佐の機体F-4B(Bu.No.148378)には彼の名字の頭文字を入れて”F-4V”と称されたそうである。同隊は、スティールタイガー(Steel
Tiger)と言う作戦名で、隣国ラオスのホーチミンルートの攻撃任務にも従事していたようだ。
↑↓ 1968年9月までベトナムで激戦を戦い抜き、岩国基地に戻ってきた時期のマーキング。尾翼のチップを以前より濃い青色で塗り、胴体に剣を入れた基本形は変わらないが、機体によって細かな部分の塗り方が異なっていた。
第二次大戦時のInsignia
↑ 1972年8月White Bearさんが岩国基地で撮影されたVMFA-122のF-4B。この機体は、司令官指定機DC-00であるが、この時期同隊のF-4Bのテールコード”DC"には白いシャドーがかかっている。
↑ ベトナム戦争に駆り出される1年前の1969年、エルトロ海兵隊基地で訓練を行っていた頃のマーキング。比較的薄い水色で十字軍が使った剣を胴体に描いていた。初期のB型は、レーダーコーンが薄いクリーム色の材質の現色のままであったが、その後白色となり、尾翼のチップにも色が入る。F-4B/Bu.No.151447
↑ 1970年11月 横須賀に入港した空母アメリカが出港する際に、White Bearさんが厚木基地航空祭で撮影されたVMFA-122のDT-12/Bu.No.150441。航空祭の合間に着陸して来たそうである。エプロンで駐機しているF-4Bのバックに写るVF-96ブラックファルコンズのF-4Jと共に羨ましい情景である。
↑ この機体はF-4Bの後期型で、尾翼トップの前縁にAN/APR-30 レーダーホーミング警戒アンテナが突き出ている。尾翼トップの後縁に突き出ていつアンテナは、AN/ALQ-51ジャミングアンテナである。F-4B/DC-12/Bu.No.150441
1964年、F-8Eクルーセイダー艦上戦闘機を有するVMFA-122は厚木基地に1年間派遣された後、カルフォルニア州エルトロ基地に戻り そこでF-4Bを受領することになる。