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VMFA-115は、VMF-115として1946年にカルフォルニア州サンタバーバラで生まれている。太平洋戦争ではF4U-1コルセアを使用して、フィリピン方面を舞台に活躍した。その後、朝鮮戦争・ベトナム戦争と大きな戦いには全て参加した歴戦の戦闘機中隊だ。特にベトナム戦では34000回以上の出撃回数を記録したが、14機を戦闘で失いパイロットも21名が戦死する等、最も酷使された部隊の1つであろう。当時は”Able
Eagles”と呼ばれていたらしいが、このベトナム戦での活躍で多くの賞を受賞している。初代飛行隊長ジョー・フォス中佐に因んで”ジョーズ・ジョーカーズ”というニックネームでもあった。1964~1965年頃にF-4Bを受領したタイミングで部隊番号がVMFA-115になり、ベトナムでは主にダナン空軍基地をベースに活動していた。ベトナム戦後、1977年7月に本国のMCAS
Beaufortに本拠地を移している。
↑ VMFA-115は、1965年当時の南ベトナムのダナン空軍基地に展開し、テト攻勢/フエの戦い/ケサン攻防戦など主だる大きな戦に参加している。イラストはチュンライ基地展開中の1968年のF-4B/VE-3/Bu.No.152331
F-4B/VE-5/Bu.No.152998
↑ 1974年5月 岩国基地に展示されたVMFA-115のF-4B/VE-5。もう既にレーダーコーンが3色に塗り分けられている。1枚上のVE-5とは機体が入れ替わっている。
↑ 1973年5月 岩国基地のエプロンに見られたもう1機のF-4B/VE-12/152983。
↑ VMFA-115は1972年4月に2回目のベトナム入りをしてダナン空軍基地に展開、これら2回の活躍で海兵隊航空で最も活躍した飛行隊へ送られるロバート・M・ハンソン賞がおくられた。
F-4B/VE-16/Bu.No.150485
↑ 1972年11月 White Bearさんが佐世保で撮影されたUSSキティホークの甲板に見られたVMFA-115のF-4B/VE-16。甲板上には海兵隊機は1機のみで、南ベトナムのダナン基地から本国へ移送中のものと思われる。
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F-4B/VE-12/Bu.No.152983
↑ 大塚譲氏が1970年代初期に沖縄那覇基地で撮影されたVMFA-115のF-4B/VE-5。尾翼のイーグルが欠損している。このF-4Bは暫く前まで司令官指定機VE-00"Joker"塗装であった。
F-4B/VE-5/Bu.No.153064
↑ 同じく1968年ダナン基地展開の頃のF-4B/VE-11/Bu.No.149426。彼らは34000回以上の出撃で主に海兵隊地上部隊への航空支援を行っている。イラストは当時多様されたスネークアイ爆弾を搭載し、初期のAAMであったAIM-9Bサイドワインダーミサイルを装備した様子。
↑ 同じく1974年5月に展示されたF-4Bの尾翼の拡大写真。VMFA-115のインシグニアには元々鷲の翼が2枚書かれていたが、尾翼にそれを移植する際に1枚にしてすっきりとしたデザインに纏めている。アメリカ軍全般でよく使われるトリコロール(3色旗)のラインは尾翼のデザイン上 アクセントとして重要な役割を演じている。装備の話に移るが、尾翼上部の前縁(写真の右手)に突き出ているのが、AN/APR-30 レーダーホーミング警戒アンテナのフェアリングで、後縁の張り出しはAN/ALQ-51
防護用ECMアンテナである。この尾翼の形状は、F-4のB型の後期型の多く見られた特徴。