海兵隊第333戦闘機中隊、ニックネームは”Shamrocks"。シャムロックは、同隊所属機の尾翼などを飾る三つ葉のクローバーの事である。"Shamrock"は、元々アイルランド語であるそうで、イングランド周辺で牧草として使われた比較的葉の小さなクローバーの草種だ。アイルランド周辺に住んでいたケルト人は、この三つ葉のクローバーにいろいろな伝説を語り継いでおり、三枚葉に愛/信仰/希望等の意味があるようだ。
 飛行隊は太平洋戦争真っ最中の1943年にノースカロライナのチェリーポイントで偵察爆撃飛行隊として創設され、太平洋のミッドウェイ方面で対潜哨戒等をしていた。戦後は一度解散して1952年に海兵隊の攻撃飛行隊として再結成され1957年には戦闘機部隊となり、当時の最新最大の空母フォレスタルに搭載された。VMFA-333は、1961年には海兵隊航空部隊として初めてF-8クルセイダー戦闘機を運用して、1962年のキューバ危機などに対応している。1966年6月F-4Jファントム戦闘機に更新され、当時激しくなったベトナム戦に投入された。(2026年3月 記)
1972年7月12日VMFA-333のF-4J/155526に乗った飛行隊のラセター少佐とカミング大尉は、この日の飛行隊指揮をとって、北ベトナム上空で僚機と共に味方のA-7コルセア攻撃機の爆撃を護衛する為、ミグキャップ(Migcap)を実施した。この時ハノイのフックフェン飛行場を離陸した3機のMig-21が迎撃に現れ、空中戦となったラセター少佐機は6発の空対空ミサイルを発射したが命中せず、7発目のAIM-9サイドワインダーがMig-21に命中して撃墜となった。僚機のダッドリー大尉機を狙ったMig-21も撃墜し1日に2機撃墜の成果を上げた。しかし帰投する際、アフターバーナーの使い過ぎで燃料不足となっていたラセター少佐は、敵のSAMミサイル基地の上空を通過して戻るしかなかった。案の定SA-2ミサイルの迎撃を受け、ミサイルが命中、翼に大穴が開いたため機体を放棄して脱出。海上で救難ヘリに救助された。この日は僚機も被弾して、空中給油機までたどり着けず海上に放棄されている。
↑ ベトナム戦争終了後、USSニミッツに搭載されていた頃のVMFA-333所属の1機は、ベトナム背の戦歴を記念にインテークベーンに撃墜を示す、北ベトナム国旗を記入している。コックピットラインはグリーンで塗られ、尾翼のマーキングはベトナム戦当時のままである。尚、本機は後にS型に改造され、何とVF-115のNF-216号機として厚木基地で活躍した。F-4J/AJ-202/Bu.No.155852
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(1943~1992)
↑ 1972年7月からベトナム沖のヤンキーステーションにいた空母アメリカから発信した当機は北ベトナムハノイ近郊上空で、北ベトナム空軍のMig-21を撃墜、乗員はリー・T・ラセター少佐とRIOのジョン・D・カミングの2名。撃墜後直ぐに北ベトナム軍のAAA(対空砲)とSAM(対空ミサイル)の攻撃を受け、SA-2の命中を受けて本機は撃墜された。2名は見方に救出された。F-4J/Aj-201/Bu.No.155526
↑ 1975年5月ビューフォート海兵隊基地で撮影されたVMFA-333のF-4J/DN-01/Bu.No.155520。同飛行隊は翌1976年には空母ニミッツで航海に出ており、その際本機はModexを"121"に変え(但し機首番号表記は12)、テールコードは"AJ"に書き換えられた。
↑ 1977年7月バージニア州アシアナ海軍航空基地で撮影されたVMFA-333のF-4J/AJ-106/Bu.No.155518。
Wings
↑ 1980年12月松野主税氏が岩国基地で撮影されたR/W-20で着陸するVMFA-333のF-4S/DN-101/Bu.No.155783。この年岩国に初めてVMFA-333のF-4J/S混合部隊がやって来た。上写真は編隊灯を付けている事からS型と思われる。
F-4J
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↑1982年11月ドビンス空軍基地で撮影されたVMFA-333のF-4JDN-101//Bu.No.157278