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F-4N/MG-3/Bu.No.150456
(1943~2004)
私は星を機体に散りばめた美しい盛りのVMFA-321のF-4を見る事は出来なかったが、学生時代約1か月米軍機の撮影目的でアメリカ大陸を走り回った際、この部隊を偶然目にする事が出来た。ロスエンジェルスの空港に夕方到着した私と友人は、治安の悪そうなこの場所での宿泊を諦め、深夜車を飛ばしてサンディエゴへ向かう。軍港や空港を撮影し1泊したが、翌日から本格的な軍用機の撮影目的で、ユマ海兵隊基地に向かう事になる。途中でエルセントロ海軍基地を覗き、砂漠を走り切って夕刻にユマに着く。当時は本当に砂漠の田舎町という感じだった。エプロンを見ると期待していたA-4M/AV-8A等の機体は無く、その代り"AD"などの予備役部隊のテールコードを付けたF-4Nらがぎっしりとエプロンを埋めていた。後で知ったのだが、数年に1度行われる海軍/海兵隊の予備役部隊の総合訓練の真っ最中だったのだ。VMFA-321の機体もこの訓練に参加しており、雑誌で見た豪華な塗装では無かったが、感激に浸って撮影をした。本ページは、白黒写真ではあるがこの時の様子を中心に展示したい。
↑ 1979年後半ぐらいから同隊のF-4Nに施された新マーキング。ロービジの先駆けとも言える塗装であるが、国籍マークなどはフルカラーで、1981年末ぐらいまではこのマーキングのままであった。F-4N/MG-00/Bu.No.151511
↑ 離陸時懸架していた爆弾がリリースできず、ユマ基地に持ち帰ったMG-12/Bu.No.152270。500ポンドの実弾であった。
↑ MG-10/Bu.No.153036は、翌年1981年2月にブラマー中佐の操縦でユマに帰還する際、機体が制御不能になってWSOのマーシャル中佐と共に脱出している。どうも投弾訓練中にMk-82爆弾が機体の近い所で爆発して、機体の一部を損傷させたのが原因らしい。
↑ 毎日機体の懸架しているものが異なったりしていたが、この機体はこの日朝、空戦起動を送信できる装置を付けているのでDACTを行っていたのかもしれない。
F-4N/MG-4/Bu.No.153067
↑ この機体もロケット弾ポッドと小型の訓練弾を懸架しているが、主脚カバーが煤だらけとなっているのは、恐らくロケット弾の発射の噴煙によるものと思われる。
↑ ご覧のように翼下のラックには小型の訓練用爆弾とロケット弾ポッドを懸架しており、投爆訓練に向かう様子である。この機体は後にQF-4Nに改造されて標的機となった。
F-4N/MG-2/Bu.No.151511
↑ 1978年/1979年にはMG-00を付けて飛行隊長機であった機体である。
F-4N/MG-1/Bu.No.152986
↑ ファイター・ダービーと銘打った訓練であるが、DACT中心でもなく、射撃/爆撃もスケジュールに入っていたようで、朝早くからスネークアイの実弾を付けて射爆場へ向かっていった。
↑ ここからが漸く私自身が撮影した機体となるが、1980年2月にアリゾナ州ユマ海兵隊基地で開催されていたリザーブ・ファイター・ダービー1980に参加したVMFA-321のF-4N達である。海兵隊戦闘機部隊でテールコードが"M"で始まるのは予備役部隊が多かったので、此処で出会った"MA"と"MG"は、日本から撮影に来た航空ファンにとっては貴重な存在であった。
F-4N/MG-12/Bu.No.152284
↑1979年5月にアメリカ本国の航空ショーに展示された機体で、ロービジ塗装の先駆的存在であるが、試行的に行われたのかこの機体以外の写真は殆ど無く、1980年までに↓のマーキングに統一されている。尚 同機はこの翌々月の7月にカルフォルニアで墜落して失われた。
↑ 1979年に幾つかの航空ショーに展示されたVMFA-321のF-4N/MG-12。しかしこの塗装は全機に施されたかは不明で、公開された写真が非常に少ない。試行的なものかもしれない。F-4N/MG-12/Bu.No.152284
F-4N/MG-6/Bu.No.151406
F-4N
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F-4N/MG-9/Bu.No.152300